前々から調子の悪かった私の父が、4月6日から入院しました。
その前からなぜか「桜の写真を撮ったか?」と気にしていたのでこの日、桜が満開の道沿いで桜を撮って父の携帯に転送しました。
父はそれから1ヶ月後の5月10日に亡くなりましたが、この桜が見たかったのか、それとも違う想いがあったのか今ではもう分かりません。
あの頃は父を見舞う度に、満開の桜が散っていく様子、山からピンクが消えだんだん緑になっていく様子、病院近くのお家にあるマロニエの木が濃いピンクの花をつける様子、と季節の移り変わりがスローモーションのように感じ取れました。
それとともに父の様子もだんだんと悪くなり、歩けなくなり、話せなくなり、しんどさで寝れなくなり、付ききりの母もでしょうが、たまに見舞う私も、見ていられなくなりました。
普段から自分の感情を出さず(たまに出す激しい感情は怒りのみ)嬉しいのか、楽しいのか、嫌なのかサッパリ分からない人でした。
入院してからも痛いとも言わず、眉間のシワだけがしんどさを表していて、何にもしてあげられないもどかしさがありました。
前に祖母が亡くなった時も、1ヶ月前からはやけに「ありがとう」「ありがとう」と言ってましたが、父も見舞う度にかすれた声で「ありがとね」「ありがとね」って言ってくれました。
今日来てくれてありがとう、という意味かなと最初は思ってましたが、きっとこれまでありがとね、という意味も含まれていたのかな…と今になって思い出します。
私のかけた「ありがとね」という言葉にも「今まで育ててくれてありがとうね、可愛がってくれてありがとうね」という意味が含まれていたんだよ…
お父さんに伝わってるかな…お互い口下手な親子で、最後までちゃんと言葉にはできなかったけど、きっと分かってくれてるよね。
父が亡くなって、実家に帰ることも多くなり、父を思い出すことも多くなり、生きていた頃よりうんと距離が近くなった気がします。
お父さん、元気で過ごしていますか?
たまには夢で会いに来てね。